熊本地震 : FOOTBALL WEEKLY

熊本地震

VIVA! ROASSO 熊本地震からの歩み  「熊本地震から1年」

第13回「熊本地震から1年」 文・山雄樹

熊本地震の発生から1年が過ぎ、熊本県内各地で、追悼式や慰霊式、復興イベントが行われ、熊本県民ひとりひとりが、復旧、復興への思いを新たにしている。

今年の熊本の桜の開花、熊本地方気象台のソメイヨシノの標準木の開花が発表されたのは、4月1日。平年より9日遅く、観測史上2番目に遅かった(1962年4月2日が最遅)。そのため、熊本地震から1年となった4月14日も、まだ熊本では桜が咲いていた。熊本城の桜の名所として知られる行幸坂(みゆきざか)は、地震の影響で、立ち入りが禁止されているが、3月25日、26日、4月1日、2日、9日の5日間、桜のシーズンの土曜、日曜を中心に、部分開放された。行幸坂からは、「奇跡の一本石垣」と呼ばれた飯田丸五階櫓の鉄骨で支えらえた姿が見え、桜が、傷ついた熊本城を癒しているようだった。


熊本城飯田丸五階櫓(4月9日)

<熊本地震から1年、満開の桜に包まれる熊本城飯田丸五階櫓>

ロアッソの選手のなかで、先頭に立って支援活動に取り組んだ巻誠一郎は、1年前に「前震」が発生した午後9時26分、黙祷を捧げていた。
場所は、熊本市東区にあるバッテリー販売会社・株式会社吉角の倉庫。熊本地震の後、いち早く立ち上げた救援物資の集積、輸送拠点だ。熊本地震の後、およそ3か月、汗を流したボランティアスタッフとともに、静かに目を閉じた。

「地震の直後は、皆、苦しくて、もがいて、『何とか前に進もう』と、『何とか前に進もう』と、皆で支え合いながら、前に進んでいました。そういう皆が、本当に久々に集まったんですね。皆さん、すごくポジティブで、前向きで、未来に向かって、確実に一歩を踏み出そうとしていました。そういう姿を見たり、そういう話ができたりして、僕自身もすごく嬉しい気持ちになりましたし、僕も、また新たに一歩を踏み出して、前に進まなきゃと、気持ちを新たにできましたし、そんな特別な日です」と、巻は語った。

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第12回「再出発への決意。」 文・山雄樹


熊本地震発生から1週間となった4月21日、天気は雨だった。
アンデルソン、キムテヨンといった外国籍選手、また、サンフレッチェ広島ユースの練習に参加し、コンディションを整えながら、自家用車に食料などの支援物資を積み込み、陸路、熊本に向かっていた佐藤昭大など、一部を除くほぼ全員の選手が、熊本県民総合運動公園内にあるクラブハウス(スポーツ交流館)に集まっていた。

熊本を訪れていたJリーグの原博美副理事長や職員から、支援の提案をきき、清川浩行監督をはじめとするチームスタッフ、池谷友良社長らクラブスタッフからは、今後の活動方針について、いくつかの選択肢を示され、選手たちは、徹底的に思いの丈をぶつけ合った。

その話し合いを受けての記者会見が午後4時から開かれるということで、熊本県内の放送局や新聞社だけでなく、中央のメディアも含め50人ほどが、クラブハウスの一室に集まっていた。依然、私が勤務する熊本放送では、未曽有の被害や、刻々と移り変わる状況などによって混乱が続いていた。私が、この取材への出発準備を進めようすると、ニュース番組を制作する報道部を指揮するデスクのひとりから「スポーツだからと言って、何でもかんでも取材に行かないでくれ!」と罵声を浴びた。

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第11回「 葛藤のなかからスタートした復興支援。」 文・山雄樹


熊本地震の直後、ロアッソの選手の誰もが抱いた思いは、「こんな時にサッカーをしていいのか」という葛藤だった。選手たちは2016年4月14日の「前震」発生から5日、より大きな被害をもたらした16日の「本震」発生から、わずか3日後の19日、阿蘇くまもと空港に程近い益城町のホテルの駐車場などに避難していた子どもたちと一緒にボールを蹴った。

その時、巻誠一郎は「サッカーやっていいのかなという思いもあったけど、でも、こうやって、サッカーやらせてもらって、子どもたちが、すごく笑顔でやってくれた。子どもたちも、もちろん楽しかったでしょうけど、僕ら選手も、ひさびさにサッカーやらせてもらって、本当に楽しかった。逆に、僕らも、すごくパワーをもらいました。子どもたちが笑顔になると、大人も自然と笑顔になって、気持ちもちょっとリラックスできたり、ポジティブな気持ちになれたりする」と語った。

「被災地となった熊本のために、自分たちサッカー選手に何ができるか、何をすべきなのか」を、手探りで探しながら、一歩一歩進んでいった。「スポーツの力」を信じて。

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「これは熊本の方に」。
タクシー運転手の男性が封筒を差し出した。封筒の中には紙幣が入っていた。12月25日(日)、京都市で行われた全国高校駅伝。私が勤務するRKK熊本放送でも毎年、熊本県代表校の密着取材を行っていて、14年連続で都大路を訪れている。レース中はスタート・フィニッシュだけでなく、京都市営地下鉄や阪急電車、そして、タクシーなどの交通手段を駆使して、綱渡りのスケジュールで、沿道や中継所などを回って、撮影する。毎年、利用しているタクシーがあり、その運転の熟練度は実に頼りになる。

今年、男子の熊本県代表校は13年連続36回目の九州学院。これまで準優勝が2回、悲願の優勝を目指して今年のレースに臨んだが、結果は3位。熊本地震の影響で、4月15日から休校、授業が再開されたのは、5月9日、25日ぶりのことだった。休校中、学校は、行き場を失った被災者を受け入れた。使用できなくなった校舎もある。選手たちは、満足に練習が積むことができなかった。それでも、選手たちは「熊本の人達に元気を届けたい」と、7区間42.195kmに懸命に襷をつないだ。優勝こそならなかったが、去年の準優勝に続くメダル獲得。2時間3分51秒というタイムは、熊本県勢歴代2位のタイムだった。

決して地震に負けない高校生たちのひたむきな姿に心を打たれたタクシー運転手の男性は、私に熊本への寄付金を託してくれた。熊本地震発生から8か月以上がたった今でも、こうした支援をいただくことを、ものすごくありがたく思う。

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第8回 「復旧、復興とクラブと私。」その3  文・山雄樹

熊本地震の経験から得たものとは、そして、やるべきこととは。

熊本地震の後、早期のリーグ戦復帰にむけて「選手の家族の安全や安心を担保したうえで、県外に拠点を移し、サッカーができる環境をつくる」ことを提案したクラブのトップである池谷社長の想像以上に、選手達が熊本を思う気持ちは強かった。

なかでも熊本県宇城市出身の巻誠一郎が抱く、その思いは人一倍だった。地震発生後、クラブハウスで、選手、チームスタッフ、クラブスタッフが集まり、今後の方針を話し合った4月21日、巻は「僕の大好きだった熊本の街や皆の笑顔が失われていく」と涙ながらに話すほど心を痛め、「本当に熊本が大好きなんで、感情を抑えられません」と嗚咽を漏らした。

だからこそ、巻は、地震発生後、すぐに救援物資の受付拠点を設け、自家用車を走らせ、避難所などを回って被災者に物資を届けるなど、ピッチの外でも先頭に立って奮闘した。

シーズンを通して、巻の言葉には、さまざまな経験をした者にしか語ることのできない重みがあった。シーズンが終わった今、巻は強調する。「震災が起こって、自分達が、何ができて何ができなかったのか、こういう経験ができたということが、今後、自分達の中で、どういう風に財産として感じて、次の一歩を踏み出すかがすごく大事だと思います。これから先、何ができるかが大事なんでしょうね。もちろん、ここのクラブを去っていく選手もいるし、選手も変わるし、いずれは、会社のスタッフや、僕らもいなくなる存在ですけど、それでも、ロアッソというクラブは残っていくんですよ。その時に、地震が起こったということは、クラブの歴史に絶対刻まれるわけですよ。その後に、僕らがどういう行動をして、どういう試合をして、どうサポーターと向き合ったか、今後のロアッソの歴史になっていくわけですよ。未来をどういう風につくるかというのは、これからの僕らだと思うんですよ」。

12月9日、今シーズンの最後の全体練習が終わった後、行ったインタビューは、アナウンサーという「伝え手」の私にも、大きな意味があるものだった。
(45分間に渡るこの巻誠一郎のインタビューは、後日、全文を掲載する。)

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第8回 「復旧、復興とクラブと私。」その2  文・山雄樹


そして、あの激震が熊本を襲った。

4月14日(木)午後9時26分に発生した「前震」では、益城町で震度7を記録した。地震の規模を示すマグニチュードは6.5。震度6強を記録した自治体はなく、チームは、17日(日)にアウェイ・京都市西京極総合運動公園陸上競技場で行われる第8節京都サンガF.C.戦にむけて準備を進めていた。しかし、16日(土)午前1時25分の「本震」では、再び、益城町で、さらに、西原村でも震度7を記録。震度6強を記録した自治体も、南阿蘇村、菊池市、宇土市、大津町、嘉島町、宇城市、合志市、熊本市の中央区、東区、西区と広範囲に渡った。マグニチュードは7.3。

「本震」の揺れの強さ、被害の大きさは「前震」とは比べ物にならなかった。益城町に住む畑実、森川泰臣の自宅は全壊し、ロアッソも全選手の3分の1に当たる9人が避難所暮らしや車中泊を強いられた。まず、第8節京都戦の中止が決まった。その後、19日(火)には、23日(土)にホーム・うまかな・よかなスタジアムで予定されていた第9節横浜FC戦、21日(木)には、第10節モンテディオ山形戦(29日・NDソフトスタジアム山形)、第11節愛媛FC戦(5月3日・うまかな・よかなスタジアム)、第12節北海道コンサドーレ札幌戦(5月7日・札幌ドーム)の中止が、それぞれ決まった。

モンテディオ山形は、地震の影響でロアッソの練習環境が整わないことを知ると、試合前にグラウンドなど、その環境を準備することを、愛媛FCは、ロアッソのホームスタジアムうまかな・よかなスタジアムでの試合開催が困難だとわかれば、ホームゲームとアウェイゲームの入れ替えを申し出た。またJリーグは、チームごと、練習や選手の生活拠点を県外に移し、リーグ戦を参加することなど、支援策を提案した。

それでも、選手達は「熊本に残って、戦うこと」を自ら選んだ。地震発生から1週間後の4月21日、外国籍選手など一部を除くほぼ全員の選手、清川監督をはじめとするチームスタッフ、池谷社長らクラブスタッフが熊本県民総合運動公園内にあるクラブハウス(スポーツ交流館)に集まった。Jリーグからも原博美副理事長をはじめ職員が熊本を訪れていた。今後の方針が徹底的に話し合われた。その場で行われた会見で、池谷社長は「こちらが思っていた以上に、選手達の熊本への思いが強かった」と驚きを隠さず語った。

選手達は、トレーニングと避難所や学校でのサッカー教室など復興支援活動を両立させながら、リーグ戦復帰への準備を進めること、つまり困難を伴ったとしても、「熊本とともに歩むこと」を決意した。

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