第8回 「復旧、復興とクラブと私。」その3 文・山雄樹
熊本地震の経験から得たものとは、そして、やるべきこととは。
熊本地震の後、早期のリーグ戦復帰にむけて「選手の家族の安全や安心を担保したうえで、県外に拠点を移し、サッカーができる環境をつくる」ことを提案したクラブのトップである池谷社長の想像以上に、選手達が熊本を思う気持ちは強かった。
なかでも熊本県宇城市出身の巻誠一郎が抱く、その思いは人一倍だった。地震発生後、クラブハウスで、選手、チームスタッフ、クラブスタッフが集まり、今後の方針を話し合った4月21日、巻は「僕の大好きだった熊本の街や皆の笑顔が失われていく」と涙ながらに話すほど心を痛め、「本当に熊本が大好きなんで、感情を抑えられません」と嗚咽を漏らした。
だからこそ、巻は、地震発生後、すぐに救援物資の受付拠点を設け、自家用車を走らせ、避難所などを回って被災者に物資を届けるなど、ピッチの外でも先頭に立って奮闘した。
シーズンを通して、巻の言葉には、さまざまな経験をした者にしか語ることのできない重みがあった。シーズンが終わった今、巻は強調する。「震災が起こって、自分達が、何ができて何ができなかったのか、こういう経験ができたということが、今後、自分達の中で、どういう風に財産として感じて、次の一歩を踏み出すかがすごく大事だと思います。これから先、何ができるかが大事なんでしょうね。もちろん、ここのクラブを去っていく選手もいるし、選手も変わるし、いずれは、会社のスタッフや、僕らもいなくなる存在ですけど、それでも、ロアッソというクラブは残っていくんですよ。その時に、地震が起こったということは、クラブの歴史に絶対刻まれるわけですよ。その後に、僕らがどういう行動をして、どういう試合をして、どうサポーターと向き合ったか、今後のロアッソの歴史になっていくわけですよ。未来をどういう風につくるかというのは、これからの僕らだと思うんですよ」。
12月9日、今シーズンの最後の全体練習が終わった後、行ったインタビューは、アナウンサーという「伝え手」の私にも、大きな意味があるものだった。
(45分間に渡るこの巻誠一郎のインタビューは、後日、全文を掲載する。)
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熊本地震の経験から得たものとは、そして、やるべきこととは。
熊本地震の後、早期のリーグ戦復帰にむけて「選手の家族の安全や安心を担保したうえで、県外に拠点を移し、サッカーができる環境をつくる」ことを提案したクラブのトップである池谷社長の想像以上に、選手達が熊本を思う気持ちは強かった。
なかでも熊本県宇城市出身の巻誠一郎が抱く、その思いは人一倍だった。地震発生後、クラブハウスで、選手、チームスタッフ、クラブスタッフが集まり、今後の方針を話し合った4月21日、巻は「僕の大好きだった熊本の街や皆の笑顔が失われていく」と涙ながらに話すほど心を痛め、「本当に熊本が大好きなんで、感情を抑えられません」と嗚咽を漏らした。
だからこそ、巻は、地震発生後、すぐに救援物資の受付拠点を設け、自家用車を走らせ、避難所などを回って被災者に物資を届けるなど、ピッチの外でも先頭に立って奮闘した。
シーズンを通して、巻の言葉には、さまざまな経験をした者にしか語ることのできない重みがあった。シーズンが終わった今、巻は強調する。「震災が起こって、自分達が、何ができて何ができなかったのか、こういう経験ができたということが、今後、自分達の中で、どういう風に財産として感じて、次の一歩を踏み出すかがすごく大事だと思います。これから先、何ができるかが大事なんでしょうね。もちろん、ここのクラブを去っていく選手もいるし、選手も変わるし、いずれは、会社のスタッフや、僕らもいなくなる存在ですけど、それでも、ロアッソというクラブは残っていくんですよ。その時に、地震が起こったということは、クラブの歴史に絶対刻まれるわけですよ。その後に、僕らがどういう行動をして、どういう試合をして、どうサポーターと向き合ったか、今後のロアッソの歴史になっていくわけですよ。未来をどういう風につくるかというのは、これからの僕らだと思うんですよ」。
12月9日、今シーズンの最後の全体練習が終わった後、行ったインタビューは、アナウンサーという「伝え手」の私にも、大きな意味があるものだった。
(45分間に渡るこの巻誠一郎のインタビューは、後日、全文を掲載する。)
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